間違った旅路の果てに正しさを祈る *Reprise

著:ニコリリ


10.不穏な気配


 訴状が届いたあくる日、ゴードンはナイと一緒にカルマの事務所へ赴いた。相手の意図を確かめる意味もあったし、出鼻を挫いて、お前なんてぼくらの敵じゃないと思い知らせる(というはったりの)意味もあった。
 カルマははじめは面食らった顔をしていたものの、すぐにニヤニヤ笑いを浮かべて、例の見合いの件について話題を振ってきたらしい。ナイはそっけない態度ですぐにやり返したという。

 この時、ついて行ったのがゴードンで本当に良かったと思う。だってぼくやマーカスだったら、ぼくらがあの場を盗み見ていたことがきっと顔に表れてしまっただろうから。いやまあカルマには別にバレたって構わないんだけどさ、ナイに知られるとやっぱりバツが悪いからね。
 その後、ナイとゴードンは(中学の時みたいに)カルマに威勢よく宣戦布告し、カルマの事務所を後にした。

 ちなみに、この時のナイとカルマのやり取りから、ゴードンは見合いの席でナイがカンカンに怒った訳を知ることができた。はっきり二人がそう言っていたという話ではないのだけれど、流れでわかったそうだ。

 カルマはあの時、ぼくらの悪口を言った。ナイの研究所でぼくらが働いていることを知っていたんだ。
 ナイはその悪口が許せなくて、あいつの顔に水をぶっかけて席を立った。
 あの日起きたのは、そういう出来事だった。

 こんな嬉しい話が他にあるだろうか。
 ぼくらがナイを好きなのと同じように、ナイもぼくたちのことを好きでいてくれた。ぼくらが貶されれば自分が貶されたのと同じに、いやむしろそれ以上に怒ってくれた。
 ぼくはそれをこの世で一番尊い奇跡だと思うし、そのことを考えるだけで胸が熱くなる。
 この世界のどこにも彼女がいなくなった今でも、というかたぶん永遠にそれは変わらない。

 後でゴードンからこの話を聞いた時、ぼくらはみな歓声を上げてハイタッチをしたものだけれど、カルマの事務所でひとり気づいたゴードンは、嬉しさで飛び上がりたくなるのを必死に堪えなければならなかった。それで結局は耐え切ったゴードンのことを、やっぱりすごいやつだと思う。

 さて一方その頃だ。
 いくつかのことがぼくらの周りで同時に起こっていた。
 何が起きていたのか後に明らかになったこともあれば、未だになんだったのかわからないこともある。
 ぼくにとってはっきりしていることと言えば、エコロジー研究所には少なくともふたつの敵がいたということ。
 カルマ率いる原告団とは別に、もっと禍々しくて、もっと深い闇に包まれた別のものが研究所を狙っていて、最終的にぼくらはそれに負けたのだ。

 一番最初に気づいたのはマーカスだった。いや気づいたというか、なんというか、マーカスはそれをお化けだと思っていたのだから、そう言ってしまうと、ちょっと褒め過ぎになるかもしれないけど。
 マーカスは突然「夜中、研究所の周りに幽霊らしきものの気配がある」と言い出して、夜になると毎晩カメラを持って前庭を見張っていた。
 三日くらいの内に、怯えたり慌てたりしながら数枚の写真を撮ったけど、結局写っていたのは、風で飛ばされてきたビニール袋だとか、普段何気なく視界に入っているのに車のヘッドライトのせいでたまたま不気味に見えた木のシルエットとか、そういう意味のないものばかりだった。

 後から考えればだけど、最初マーカスはやっぱり目撃していたんだろうと思う。お化けではなくて本物の不審者を。おそらくマーカスが見張っているのに気づいて姿を出さなかったのだろう。

 それとは別の話で、車で事故を起こしそうになった件がある。
 ジェロニモが買ってきたそれは中古の白いワンボックスカーで、オンボロだけど、六人ゆったり座れる車だった。
 ナイの黒塗りの高級車だと好き勝手に走らせるわけにはいかなかったから、自分たち用の自動車は結構前からぼくらの間では欲しい物リストの上位に常に在り続けていたんだ。

 中古とはいえ、ぼくたちはそれを熱心に手入れしていたし、部品部品で言えば、かなり新品と交換もしていた。
 それが、走行中に突然ブレーキが効かなくなったのだ。
 幸い大事には至らなかったけど、原因が不明で、直前に点検もしていたぼくとゴードンはなんでこんな故障が起きたのか首を傾げたものだった。
 これは確か訴状が届いてから四日目の事のはずだ。

 この時にぼくらがハテナッチ教授の事件を思い出していれば、あるいは――と思わずにはいられない。悔やまずにはいられない。
 なぜなら次にやつらが標的にしたものこそ、ナイの黒塗りの高級車だったのだから。
 そしてナイは、それで命を絶たれたのだ。

 ナイは研究所を取り囲むような不穏な空気に気づいていたのだろうか。もしかしたらそうだったのかも知れない。

 訴状が届いてから五日目の事。
 朝、研究所の窓ガラスが、外から投げられた石で割られた。
 驚いたぼくたちが外を見てみると、プラカードを掲げた大勢の人たちが研究所を取り囲んでいた。

 ネットで研究所が訴訟を起こされていることが話題になっていて、それを見た関係ない人たちがなぜか怒って押しかけてきていたのだ。
 ぼくらは腹が立つよりかは、戸惑う気持ちのほうが強かった。
 カルマの率いる原告団とは徹底的に争うつもりでいたけど、今周りにいる人たちはゴミ除去装置を見たことすらない人たちなのだ。
 どうにもわからない話だけど、彼らにはぼくらが巨大な悪の組織のように見えているらしかった。ぼくらからすれば、彼らのほうがまさに邪悪といった表情をしているように見えたものだけれど。

 ゴードンとランプさんが外に出ていき、皆を説得し始めた。その間、マーカスとジェロニモは割れたガラスを片付けていた。
 ぼくはと言うと、ナイの顔が真っ青になっていたので、心配して彼女の横に座っていた。
 ぼくは何も声をかけられなかった。ナイと同じようにひどくショックを受けていたから。
 外の様子を見ていたナイがはっとなにかに気づいた様子で、ひとことつぶやいた。
 その時は知らない単語だったからうまく聞き取れなかったけれど、今ならなんて言ったのかはっきりとわかる。
 あの時ナイは「ティンパスト」と、そうつぶやいたのだ。

 三〇分くらい経った頃、ゴードンの説得が功を奏して、彼らに帰ってもらうことができた。
 ぼくたちは暗い顔でいつものキッチンダイニングに集まった。
 そこでナイは、ぼくらにとって運命的とも言える、あの決断についてしゃべり始めた。
 すべての終わりが始まった瞬間だった。