間違った旅路の果てに正しさを祈る *Reprise

著:ニコリリ


8.輝く頬と、煙を上げる自動車


 ぼくらの予想に反してゴミ除去装置の当初の売れ行きは細々としたものだった。
 ひとつには、装置の根本技術にハテナッチエフェクトを用いていることをおおっぴらにできないため、どれだけ画期的な発明か説明が難しいということがあったけど、実際のところ、原因の最たるものは、ぼくらが契約した販売代理店があまりに弱小だったってことだ。
 ぼくらの希望としてゴミ除去装置は、掃除機や洗濯機と一緒に町の電気屋で売りたかったんだけど、代理店は通信販売オンリーで売るスタイルをとった。確かに装置は量産しにくい設計でとてつもなく高価になってしまったので、電気屋に置いてもらうのは難しかったかもしれない。
 かといって、代理店の言い分どおり通販なら高価でも売れるのかと言うと、それはもちろんそうでもない。よほどうまい広告戦略がなければ、装置の存在に気づいてすらもらえないのだ。
 気鋭の環境保護団体グリーンセイルにいたことのあるぼくらは、広告の打ちかたにそれなりの見識を持ってるつもりだけど、結局のところ、そのぼくらの目から見て、代理店のやり方はあまりに陳腐で回りくどく、ナイの発明を大々的に世の中に広めるどころか、レム市内の家庭への普及率すら1パーセントを満たせそうになかった。

 ゴミ除去装置の発売から三ヶ月くらい経ったある日、スーツ姿の代理店担当者が、真っ青な顔をして研究所にやってきた。元々やせぎすの彼だったが、頬の肉はげっそりと落ちて、死神めいた顔つきになってしまっている。彼の両腕には分厚い書類の束が抱えられていた。
「や、エバラスさん、どうもどうも」
 ランプさんが彼を応接室に通してソファに座らせる。
 仮しつらえのキッチンダイニング(結局最初から最後まで仮しつらえのままだった)から開け放したドア越しに、ことが尋常でなさそうだと感じたぼくとゴードンは、食べかけの昼食をマーカスとジェロニモに押し付けて、ランプさんたちと一緒に応接室に入った。
「どうかしましたか?」
 エバラスさんの向かいに座って、ゴードンが尋ねる。エバラスさんは抱えていた書類の束をテーブルの上にドンと投げ出すと、頭を左右に振りふりわめき散らした。
「えらいことになりましたわ。このままだと、うちとお宅、共倒れになりまっせ! どないしてくれはるんですか!」
 ぼくらは目を丸くして、顔を見合わせた。
「あのー、どういうことですか?」
 ぼくが訊くと、エバラスさんは書類の束をばしばしと叩いて言う。
「見てのとおり苦情の山ですよ! ようこんなひどいものつかましてくれましたな! うちの社長も今朝から謝罪対応でおおわらわでっせ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。それみんなゴミ除去装置に関する苦情なんですか?」
「当然でっしゃろ。とにかくボクは社長から一刻も早くおたくらと縁切るよう言いつかってきたんですわ。今すぐ所長を連れてきてくださいよ!」
「そんないきなりなにを……!」
 言いかけたぼくの肩をゴードンがぽんと叩いて制した。
「わかりました。ナイ所長は連れてきますから、もう少し詳しく話を聞かせてください。実のところ、我々は何が起きているのかさっぱりわからないんですよ。どうしてそんなことになってしまったんです?」
 そう言いながら、ゴードンはぼくに目配せをする。ナイを連れてこいって意味らしい。
 ぼくだってエバラスさんの話を聞きたい。そういう意味を込めて顔をしかめて見せたが、ゴードンはもう一度ぼくの肩をぽんぽんと叩く。ぼくはため息をつきつつソファから立ち上がった。ちぇっ。

 ぼくは階段を登ってナイの部屋に向かった。彼女は研究所の二階の一室を自分の居住スペースとして使っていた。
 前の晩、明け方まで研究室にこもっていたため、ナイはまだ自分のベッドで眠っているはずで、そんな彼女を夕方前に起こすのは気の毒だった。
 部屋のドアの前に立ち、ぼくは遠慮がちに壁に付いたブザーを鳴らした。返事はない。基本的にナイは寝起きが悪いのだ。もう一度、今度はちょっと長めに鳴らすけど、中でナイが起きた気配はない。
 どうしたものかと、ぼくは悩む。驚くべきことだと思うが、彼女の部屋には鍵がついていない。研究所内の人間はいつでもこのドアを開けて中に入れるようになっているのだ。
 意味はないだろうけど、ぼくはドアをこんこんとノックしてから声をかけた。
「ナイー、起きてるー? ジミーだけど、部屋に入るよー」
 返事はない。ぼくはノブをとって、部屋に入った。

 ぼくの部屋とはまったく異質な空気、要するにいい匂いが充満していて、それを吸い込むことに、なんだか罪悪感すら感じて、ぼくは息を殺した。
 入ったそこは居間。奥の寝室との間の戸は開け放たれていて、ナイの眠るベッドが見えた。どっちの部屋もカーテンが閉められていて薄暗かった。
 居間にはちいさなソファと低いテーブルがあって、テーブルの上にマグカップが五つ並んでいた。
 ぼくら五人がここに集まって使ったものと推理した人は残念ハズレだよ。なにを隠そう、ナイが使うごとに片付けないから五つたまってしまっているのだ。もちろんカップを片付けるのは家政夫の役目だけど、片付けても片付けてもすぐにこの部屋のテーブルにはカップが幾つも並んでしまうのだった。
 ぼくはそのカップを横目にわざと足音を立てながら、寝室に向かった。これでナイが起きてくれればいいんだけど。
「ねえナイ、お客さんが来てるよー」
 ぼくは呼びかけつつ寝室に入るけど、ベッドで布団に包まったナイが起き上がる気配は無い。
「ナーイー、起きないのー?」
 枕元まで歩いていって、呼びかけると、今までこちらに背を向けていたナイが寝返りを打って、こっちを向いた。カーテンの隙間から漏れこんだ光のすじに、ちょうど彼女の透き通ったみたいな白い頬が照らされた。
 心身ともに、まるでゴミ除去装置のトリガーを引いた時のような、稲妻を受けたような衝撃が走った。初めは、その衝撃がなんなのかわけがわからなかった。
 光り輝く頬に、同じく光り輝いた幾本かの白金色の髪の毛がはらりと流れ落ちる様子がスローモーションでぼくの目に映る。脈拍がおかしい。耳が遠くなる。
 毎日一緒にいるのに、寝顔だって何度か見たことあるはずなのに、そもそもぼくは自分が彼女を好きだってわかっていたのに、今更こんな気持ちになるものなのか?
 だんだんぼくは胸が苦しくなってきて、これ以上その場にいられないと思った。思ったのに身体は動いてくれない。むしろナイの顔にどんどん近づいていこうとしてしまうようだった。
 その時、ふいにナイのまぶたがゆっくりと開いた。
 それでぼくはようやく身体を動かせるようになり、さっと身を引いて、大きく息をつく。
「うう、ん……おはよ……」
 ナイはまだ眠そうに半目の状態でぼくを見て言った。
「おはよう、あのね、お客さん。エバラスさんが来てるんだけど、降りてこられる?」
「うん、どうしたの?」
 ナイが横になったまま、ぼくに微笑みかける。ぼくはまたおかしな鼓動を打ち始めた心臓を気にしながら、ナイを呼びにきたわけを話した。
「わかった、ちょっと待っててもらって……」
 そう言ってナイがもそっと起き上がる。
「うわあ!」
 布団がめくれると、下着姿の上体があらわになり、ぼくは叫び声をあげた。
「ナイ! 服、服!」
「ん? あれ? ごめん、昨夜、着替えるの面倒で脱いで寝たんだった」
 ナイはそう言って笑ってる。その時ぼくは彼女が寝ぼけてるんだと思ったけど、後から思うと、ナイは普段も大体がこういう感じだった。
「わ、わかった、わかったよ、それじゃ下で待ってるから!」
 ナイと違って動揺しまくったぼくは部屋を飛び出し、そのすぐ後、足を滑らせて階段を転げ落ちた。階段で転んだのはマクラズライブの日以来だ。

 ぼくは痛めたほうの足を引きずるようにして応接室に戻った。
 なぜか腕組して立っているジェロニモがいて、ゴードンとエバラスさんとランプさん、四者一様に真剣な表情で部屋のはじに置いたテレビを見ていた。
 画面は煙をあげて燃えている乗用車の映像を写していて、最近多いテロ事件についてのナレーションが聞こえている。
「なんなの、これ?」
 ぼくはゴードンに訊いた。
「ジェロニモが教えてくれたんだ。……自動車を爆発させられた。それでハテナッチ教授が死んだ」
「……え?」
 ぼくはテレビ画面を凝視した。
 画面の隅のほうに意味深なテロップが映っている。
『相次ぐ暗殺事件! 優れた頭脳を狙うのは新興宗教団体か!?』
 ハテナッチ教授が? 新興宗教団体に? まったく意味がわからない。
「――なんなの、これ?」
 混乱した揚げ句、さっきとまったく同じ言葉で、ぼくは再びゴードンにそう訊いていた。