間違った旅路の果てに正しさを祈る *Reprise

著:ニコリリ


4.マクラズライブの日


 リトルギャング時代に別れを告げ、それぞれが別々の道を歩き始めたぼくら。
 ぼくは退屈で刺激がないがそのぶん平和で穏やかな高校生活を送りながら、チームもこのまま自然消滅していくのかと寂しい気持ちになっていた。
 そんなある休日の朝、突然ゴードンがぼくのうちにやって来ると、ますますカリスマの宗教家めいてきた深みのある口調で語った。
 ぼくらのアジトが消えてなくなる、と。
 もともとアジトの小屋がある林は、二十年以上も前から市によって都市開発予定地としてリストアップされていた。そしてとうとう、その計画が具体的に動き始めたのだ。

 ぼくらはひさしぶりにアジトに集結した。長い年月のうちに室内にあった面白いものはずいぶん数を減らし、テーブルの上にももうお菓子は載っていなかったけれど、やはりこここそがぼくたちの帰るべき場所だった。

 ゴードンは一枚の名刺を取り出し、テーブルを囲んだぼくらの中央に置いた。
「セイムドアという男がいる。レムを活動拠点とした環境保護団体グリーンセイルの代表者だ。おれはこの男と手を結ぼうと思うのだが、どうだ?」
「そのグリーンセイルの活動ってのは具体的にどんな?」
 ぼくは訊いた。
「レムの自然環境に関わることならなんでも首を突っ込んでいるな。最近は特にサンドシー砂漠の緑化に注力する一方、レムへの砂の進入を防ごうとしている。この林が開発されコンクリート舗装されるようになると、レム市街は一気に砂に侵食されてしまうというデータがあるそうだ。そういう意味で、彼らは北の林の開発に反対している」
「おれたちはそいつの手下になるのか?」
 マーカスが訊く。ちなみにマーカスの身長は中学の三年間でみるみる伸びて、今ではぼくとどっこいのところまできていた。顔は相変わらず丸く、体はやせっぽちのままだったけど。
「いや、おれたちはセイムドアの指揮下に入るわけじゃない。おれたちが連中を利用してやるんだ」
「なーる、問題なし」
「ジェロニモはどう思う?」
 ゴードンに尋ねられたジェロニモは組んでいた腕をほどく。
「レム市街を砂の侵食から守る必要はないが、この林は必要だ。人間だけでなくこの辺りに住む全ての生き物にとって」
 ジェロニモはこの頃なぜか伸ばしていた口ひげを、指でつまんで引っ張りながら静かに語った。
「やるべきだろ?」
「当然、戦うべきだろうな、利用できるものは全て利用して」
「うん、わかった」
 そう言って、ゴードンはにやっと笑った。
「なら決まりだな、ジミー?」
 どういうわけかゴードンは最終確認をぼくに振ってきた。ぼくは内心の驚きを隠しながら大きく頷いた。

 さて、こうしてぼくらが手を貸すことになった環境保護団体グリーンセイルは、三つの顔を持つ組織だった。
 ひとつは市役所の前でデモ行進をしたり横断幕を掲げたりする表の顔。もうひとつはマスコミや一般市民の視線を表の通りに向けているあいだに、会員制高級クラブの奥の部屋で札束をやり取りしてコトを収める裏の顔。そして最後に、闇にまぎれて直接的に環境を保護する絶対秘密の仮面の顔――。
 ぼくらの担当はリトルギャングあがりとして当然と言うべきか、最後の秘密の顔、建設途中のダムや森林の伐採現場にて破壊工作を行う、環境保護テロリストとしての役割だった。
 そう、チームは復活したのだ。ぼくら四人は、戦いに次ぐ戦い、謀略に次ぐ謀略の日々に再び身を投じた!

 実を言うとゴードン以外の三人は今日までグリーンセイル代表のセイムドア氏に会ったことがない。セイムドア氏は慎重で用心深い男だった。そういうところはゴードンとよく似ている。ふたりが組んだのも、そういうことがあったからなのかもしれない。
 と、いうわけで、ぼくたちに直接指示を出していたのはセイムドア氏ではなく、実行部隊の隊長、コードネームで「シャドウ」と呼ばれる精悍な顔つきの元傭兵だった。
 シャドウは三十を少し過ぎたくらいの年齢の男で、この平和なレム市にあっても、戦場のど真ん中で作戦行動を取らされているかのような緊張感をいつも漂わせていた。
 引き締まった体を海軍払い下げのジャケットに包み、頭にはいつでも包帯として転用できる丈夫なバンダナ、足にはひと蹴りでゾウの睾丸もつぶせそうな分厚いソールのブーツ、全身のポケットにはサバイバルに必要なありとあらゆる装備品がぎっしり――。彼こそは戦士のなかの戦士、男のなかの男、ってなもの。

 ちなみに北の林の開発について言えば、ぼくらが手を出すまでもなく片はついた。
 もともと二十年も放っておかれたホコリまみれの計画だし、市としては別段大急ぎでそれをやってしまいたい理由は持ってなかったのだ。
 そんな役所をせっつくだけの理由をもっていたのは、その土地周辺の利権を得て、宅地開発を行っていた不動産業者で、グリーンセイルは二つ目の顔でもってその業者をちょいちょいとくすぐることで、計画を取りやめにさせたのだった。

 アジトの小屋が無事安泰となれば、グリーンセイルとはいつ手を切っても構わなかった。それでもぼくらが連中の活動に手を貸していたのは、ひとえにシャドウのことが気に入っていたからだ。
 彼のモットーは「仕事はユーモアをもって楽しく! 休みはシビアに厳密に!」というもので、そのモットーはずいぶん時が過ぎたのちにぼくら四人に受け継がれ、ナイの研究所で額に入れられて掲げられることになる。
 シャドウは口数の多い方ではなかったが、任務中、極端にハイになってるときには、彼が言うところの「ひよっこ」であるぼくたちに、年寄りくさい人生訓めいたことをよく語ってきかせてくれたものだ。
 いわく「恐怖を煽り立てる人間を信用してはならない」、いわく「忘れてしまうくらいならはじめから記憶しないこと」などなど。

 そんなわけで、ぼくらが人生の先輩としてシャドウから教わったことは少なくない。ナイを抜きにすれば、彼こそがぼくたち四人の師匠だと言えるだろう。

 それにしても、なんとまあ邪悪で罪にまみれた師匠であったことだろう!
 彼には隠された裏の顔があったのだ。まるでグリーンセイルのように。
 シャドウの言葉を借りるなら「人生はいつだって、想像してたより少し苦いもの」というわけだ。なるほど確かに。

 ぼくがシャドウの本当の姿を知ることになるその事件が起きたのは、出会ってから二年くらい過ぎた頃のことだ。
 その頃グリーンセイルは、レム近くの海岸が建設候補地となっていた原子力発電所の計画に反対し、その妨害を活動の中心としていた。
 レム市長もはっきりと自分が反対派であることを表明していて、その点において彼はグリーンセイルの味方だった。

 市長は奥ゆかしい性格の老人で、どうしても必要な場合を除いてあまり人前に姿をさらしたがらなかったが、その日はどうしても人前に出る必要のある日だった。外国からものすごく有名なバンド(マクラズというバンドだ)がレム市を訪れており、そのライブの招待状が市長の元にも届いていたからだ。
 マクラズは南の港湾地区に一万人収容のライブ会場を設営した。ライブ当日の午後五時半、市長は黒塗りの公用車でそこを訪れた。
 その日は今にも泣き出しそうな重苦しい曇り空で、市長は車中で奥さんに、ライブが終わるまで雨が降らなければいいね、と語ったという。
 公用車は普段のレムでは決して目にすることのできない大群衆を横目に関係者用のゲートをくぐり抜けた。市長は公用車から降り、奥さんと数名の護衛を伴って賓客席へと向かった。
 そして席に着こうとした瞬間、スーツの胸ポケットのあたりがポッと黒っぽく染みたかと思うと、隣にいた護衛の男にもたれかかるようにして倒れこんだ。染みがみるみるうちに大きく広がっていく。
 降ってきたのは雨粒じゃない。彼は狙撃されたのだ。心臓を打ち抜かれ、ほぼ即死だったという。

 レム市長が帰らぬ人となった約三十秒後、ぼくはライブ会場そばで建設中だったビルの屋上でシャドウと向かい合っていた。

 話は少し時をさかのぼる。
 実はぼくはマクラズの五年来のファンで、このライブは絶対に見ておきたかったのだが、人気がありすぎてどうしてもチケットが手に入らなかった。
 あきらめきれなかったぼくは、ライブ会場の設営が始まると、臨時雇いのスタッフに入れてもらえないかと押しかけていった。
 人手は足りてると断られ、ふてくされて帰ろうとした時、ぼくはすぐ近くにライブの特等席があることに気が付いた。
 それが例の建設途中のビルだったというわけだ。
 エコテロリストとして場数を踏んでいたおかげで、ぼくは工事関係者の目に止まることなくビルに忍び込む自信があった。ぼくはこのビルを勝手にぼく専用のアリーナ席として使うことに決めた。
 実際のところ、ライブ当日は工事が行われておらず、すばやく入り口の柵を乗り越えてしまえば、あとはもう自由気ままにビル内を使うことができた。ぼくはノーリーズンのボトルと双眼鏡を抱えて、意気揚々と仮しつらえの階段を登っていった。
 ステージが一番よく見えるのは七階だった。そこにはちょうどライブ会場側に向かって大きく壁が開いている部屋があった(まだガラス窓ははめられていなかった)。
 ぼくは宙に向かって途切れた打ちっぱなしのコンクリート床ぎりぎりに立って、観客のうようよとうごめくライブ会場を眺めた。ぼくの位置からはステージは少し斜めに見えるが許容範囲、なんて素晴らしい眺め! ぼくはひとりでバンザイをした。
 と、その時、後ろのほう、ビルのどこかで物音がして、ぼくはあやうく地上二十メートルの空中にダイブしそうになった。
 工事関係者が見回りに来たんじゃないかと思ったぼくは、慌てて近くの柱の陰に身を潜めた。
 顔を半分だけ出して、階段のほうを見ていると、下の方から誰かが登ってくる足音が聞こえてくる。
 相手の頭の先っちょが見えたところで、ぼくはさっと顔を引っ込めた。が、なにか心に引っかかる。今見えた頭は――見覚えのあるバンダナを巻いていたような?
 相手が上の階に去っていったあとで、ぼくは柱の陰から出て、相手のあとをつけた。

 例えば今こんなことを考えてみる。ぼくがもっと素早く屋上へ辿り着いていたら市長の命を救えただろうか?
 答えはたぶんノー。その場合きっと一発目の銃弾でぼくがまず殺されることになっていただろう。もちろん市長はそのあときっちりと狙撃されたはずだ。
 ぼくが殺されなかったのは、屋上に着いたときにはシャドウがすでに殺し屋としての仕事を終えて、ライフルを分解し始めているところで、ぼくが彼の仕事の邪魔になりようがなかったからだ。

「シャドウ?」
 ぼくはのんきに相手に呼びかけた。このときはまだ賓客席で起きた凄惨な出来事を知らなかったのだ。
 ちょっとの間を置いてシャドウはこちらを向いた。
「ジミーか」
「こんなところでなにしてるの?」
 また少し間があった。ぼくはそのことに対してものすごく違和感を覚えた。いつものシャドウはこんな風にいちいち受け答えに間を空けることなどしない男だったから。
「下を見ていた」
 シャドウの答えに、ちらっとライブ会場を見る。騒ぎはまだ目に見えるほどにはなってなく、未だぼくはなにも気づかずにいた。
「それ、どしたの?」
 ぼくは分解途中のライフルを指差して言った。
 三度目の不自然な間があって、シャドウは唇の端を少し歪めた。仕事を“ユーモアを持って楽しくやる”ときの顔だった。見慣れていたはずのその顔が、その時はなぜかとてもいやらしく見えた。
 わけはわからないまま、嫌な予感が頭の中を巡り始めていた。
「シャドウ、なにをした!」
 ぼくは叫んだ。
 対してシャドウは淡々と答えた。たった今、市長を撃ち殺した、と。
 ぼくはそれを冗談だとは受け止めなかった。それほど彼に対する違和感は強くなっていた。
 ぼくは再びライブ会場に視線をやり、賓客席からその周囲に向かって広がる人々の動揺をようやく目にした。それで彼の言葉が真実だと悟った。
「なんで! なんでだっ? 市長は味方のはずだろっ!」
 ぼくはシャドウがグリーンセイルのエコテロリストとしてその仕事を行ったのだと誤解していた。
「市長がもし敵だったなら、お前はおれを責めないのか?」
 そう言われ、ぼくはぎょっとした。
 ぼくらはエコテロリストとして破壊的な活動をしてはいたが、人命を奪ったことはなかった。それどころか怪我らしい怪我を誰かに負わせたことすらなかった。思えばずいぶんと牧歌的なテロリストだった。それでもいつのまにか、世の中を敵と味方に分け、相手が敵なら傷つけても構わないという考え方に、どこか染まってしまっていたのだ。
 シャドウの言葉はそのことをぼくに気づかせた。その瞬間からぼくはエコテロリストをやめた。仲間たちも、どんなことをしてでも絶対に足を洗わせようと心に誓った。
 ただ、それと今ここで人殺しと向かい合ってることはまったく別の問題だった。
 ぼくは上ずった声で言い返した。
「ふざけるな! どうしてあの人を殺したんだ!」
「そんなことを聞いてどうする? それがお前にとってなんの意味がある?」
「シャドウ! ちくしょう!」
 その時のぼくはシャドウの問いには答えられず、ただ無分別に彼に掴みかかった。

 今ならわかる。なぜぼくが「殺しの理由」を聞きたがったかを。

 ぼくは彼を許したかったのだ。許せるだけの理由をそこでシャドウに語って欲しかったのだ。人ひとり殺すに足るだけののっぴきならない事情(親の仇だとか、実はあの市長が連続強姦魔だとか、そういうこと)を、ぼくが納得できるように説明して欲しかったのだ。
 それほどまでに、ぼくはシャドウのことが好きだった。彼を失いたくなかった。その人はぼくが生まれて初めて出会った、師と呼びたい大人だった。

 だがしかし、シャドウの答えはぼくを絶望の淵へ叩き落とした。
「原発建設推進派がおれの前に金を積んだ。それが理由だ、ジミー。おれは殺し屋なんだよ」
「この大バカ野郎っ!」
 あてずっぽうのこぶしは何度も空を裂いた。たぶんぼくは泣いていたと思う。シャドウは何度か身をかわしたあとで、ぼくの腕をつかんだ。
「お別れだジミー。ゴードンとマーカスとジェロニモによろしくな。楽しかったぜ」
 シャドウはぼくの首の後ろに手刀を振り下ろした。ぼくはコンクリートの床に倒れ込んだ。
 薄れゆく意識の中、シャドウのこんな言葉を耳にした気がする。
「もし仲間に目撃されるとしたらそれはお前だろうと思っていたが、その通りになったな、ジミー、お前はやっぱり――」
 ぼくの記憶はそこまでで途切れている。

 意識を取り戻した時、辺りは日が暮れて真っ暗で、背中にはばしゃばしゃと雨が降り注いでいた。
 ぼくは冷えきってがちがちになった体を引きずるようにして階段を下りていった。途中で何度も吐き、二度ほど意識を失って半階分、階段を転げ落ちた。それでも体はほとんど麻痺していたからちっとも痛くなかった。痛むのはもっと別のものだった。

 どうにかビルから出て柵にたどり着いても、そのまま家に帰るというわけにはいかなかった。
 ビルの周囲は警官隊に包囲されており、彼らが照らす無数の巨大ライトの前にのこのこと姿を現したぼくは、市長殺害の重要参考人としてすぐさま身柄を拘束されてしまったのだ。

 ニ週間に渡る執拗な取り調べからようやく解放されてみると、親父が交通事故でこの世から去ったあとだった。家族はそれを機にぼくの存在をなかったことにした。市長殺害はもちろん無実ということになったし、これまでの破壊活動については証拠不十分で不起訴だったけど、ぼくのエコテロリストとしての過去はいまやおおっぴらな事実だった。
 警察署の前では仲間たちがぼくを出迎えてくれた。ジェロニモはなにも言わずにぼくに親父の万年筆を握らせた。
 取り調べにはすべて本当のことを話していたから、みんなもシャドウとぼくのあいだに起きたことは知っていた。彼らはなんの付帯条件もなく全面的に絶対的にぼくを信じた。

 それからもうひとり、ぼくのことを出迎えてくれた人がいた。
 眼鏡、それもナイがかけていたようなのではなく、女優がかけるような細身の眼鏡をかけ、背中まであるプラチナブロンドの髪を風に揺らした、すらりとしたスーツ姿の女性だった。

 彼女は仲間たちから少し離れた後ろのほうで、心配そうな顔をして立っていた。
 突然、ぼくははっと気が付いた。

 それはナイだった。大人の女性になって戻ってきたナイだった。