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間違った旅路の果てに正しさを祈る *Reprise

著:ニコリリ


3.ひらめきと分析のあいだ


 当時ナイはまだ、顔の半分が隠れてしまうような黒ぶちの眼鏡をかけていて、髪もきちんと手入れをせずいい加減に左右にしばっただけの状態だった。
 そんなだったから、彼女が入学式で生徒会長として壇上にあがって、よく通る耳ざわりのいい声でぼくら新入生にようこそと言ったとき、四人ともそっちを見向きもしなかった。午後になってからジェロニモが「あの生徒会長は大地の声を聞くことのできる人間だ」なんて言い出すまでは、ずっとそう。
 ぼくらは、史上空前の作戦における当面の敵は学校の教員たちだろうと思っていたので、みんなしてどの教員が腕っぷしが強そうだとか、狡猾そうだとか、そういうことをひそひそと話し合っていたのだ。
 聞いたわけじゃないけど、ナイはたぶんそのときにぼくらを要注意集団としてマークしたのだろう。壇上から二百四十人の新入生を見渡し、ひとりひとりのパラメータを頭の中のファイルに記録する中、ぼくら四人の分だけ特別なカテゴリに選り分けたのだと思う。

 ナイ率いる生徒会はぼくらに対する警戒をすぐに公然と示した。

 具体的には、まず入学式の翌日、ゴードンが愛用の(兄からお下がりの)単車で校門をくぐろうとしたとき、生徒会役員三人がその前に立ちはだかった。
「なんだ? お前ら」
 ゴードンはエンジンをふかしながら怒鳴った。三人組の左右、ヒラだか書記だかの女の子たちが首をすくめたが、中央の生徒会副会長は毅然とした態度で怒鳴り返してきた。
「きみぃ! 非常識じゃないか! 中学校にバイクで乗りつけるなんて!」
 この副会長は、七三をぺったりと撫でつけた気難しそうな細目の男だ。名はカルマ。あとでまた出てくるけど、とにかく憎ったらしい奴だ。
 ゴードンは副会長に言い返す。
「お前の常識なんて知ったことか。世の中には常識で割り切れないことが一杯あるんだぞ!」
「常識論の話をしているんじゃあない! これは規則の問題だ!」
「規則? 規則だと?」
 ゴードンは革ジャンのポケットから自動二輪の免許証を取り出し、相手の目の前に突き出した。
「このとおりだ! なにか問題あるか?」
「こおぉそく違反だと言ってるんだ!」
 副会長はブレザーのポケットから生徒手帳を取り出すと、目にも止まらぬすばやさでぺらぺらとページを手繰り、開いてゴードンの目の前に突き出した。
「イーストレム中学校則第十五条第二項! 生徒のバイク通学についてはこれを認めない! どうだわかったか!」
 ちなみに第一項は「生徒のバイク免許取得に関してはこれを禁ずる」というものだったが、副会長はゴードンが免許を取ったのが中学校入学前(!)だとわかっていたので取り上げなかったのだ。とにかく彼は細かいところに気のつく、やっかいな敵だった。
「なるほど、確かにお前の言うことは正しい」
 ゴードンは頷いた。副会長はほっとした様子で言う。
「わかってもらえたならなによりだ」
「で、おれはこのバイクをどうすればいいんだ? 今からバイクを置きに家に帰ったんでは遅刻してしまうわけだが」
「今日のところはやむを得まい。自転車置き場の邪魔にならないところにでも停めておきたまえ」
「了解した」
 生徒会としては、これでこの問題は片付いたと思ったことだろう。

 だが、翌日も、翌々日もゴードンはバイクで学校までやってきた。

「きみぃ! いったいどういうつもりなんだ! わかってくれたんじゃなかったのか?」
 例によって校門で副会長が食ってかかってきた。左右の書記だかヒラだかの二人は、ほっぺたを膨らまして腰に手を当てている。ゴードンは落ち着いた表情で答えた。
「いや、よくわかったつもりだ。校則についてもよく調べたしな」
「では、なんだそのバイクは! きみは校則に違反しているんだぞ!」
「それはわかっている。だからなんだ?」
「なんだ、だと? 校則違反をしたら……、違反をしたらなあ……、いけないんだぞぉっ!」
 ゴードンは相手の言葉ににやっと笑みを浮かべると、生徒会を完全に無視して、スロットルを廻し、悠々と自転車置き場へ向かった。
 ゴードンは副会長が自分に対してなにかできるわけではないことを知っていた。
 つまり、第十五条の不備、第一項にはちゃんとついている罰則の規定が、第二項にはないということを確認しておいたのだ。

 副会長は会長であるナイに泣きついたのだろう。その日のうちにゴードンはナイによって呼び出された。
 ゴードンは生徒会長など、これぽっちも手強い相手だとは考えていなかったから、なんの警戒もなく敵陣へとのこのこ出向いていった。
 実際、執務室でゴードンを出迎えたナイは、手強さらしきものの気配すら感じさせなかった。そのことこそが彼女の本当の恐ろしさだったわけだが、ゴードンも、ぼくらも、それに気づくのはずっとずっとあとになってからのことだった。

 ゴードンは出迎えたヒラだか書記だかの女の子の指示に従い、長テーブルの端っこの椅子に座っていた。ほどなく生徒会長がやってきて、ゴードンのすぐ前の席についた。
「どう? この学校は楽しい?」
 ナイはそうゴードンに話しかけた。まるで友達に話しかけるような口調。ゴードンはいつものぶっきらぼうな調子で応える。年は違わないかもしれないけど、先輩で生徒会長の相手にも変わらずに。
「今のところはね。で、おれに用ってのは?」
「まあまあいいから。そうだ、お茶とコーヒーはどっちがよかったかしら?」
「お構いなく。それよりさっさと用件を聞かせてくれないか」
「せっかちね。飲み物があったほうが対話も生きいきと進むものよ。わたし、あなたと話がしたいの」
 おいでなすった、とゴードンは考える。狡すっからい大人が腕力以外の手段でぼくらになにか強制しようというときによく使われる台詞に、それはそっくりだった。
 でも、今のぼくならわかるが、ナイは本当に、言葉のそのままにゴードンと話をしたいと思っていたのだ。もしぼくがこのときに戻れたとしても、そのことをゴードンにはたぶん教えないだろうけど。
「ほかに用がないなら帰らせてもらうが?」
 言いながらゴードンは立ち上がった。ナイは別に慌てた様子は見せずに一緒に立ち上がると、脇に持ってきていたカバンから紙切れを一枚取り出してゴードンに差し出した。
「なんだ?」
「持って帰って。用件はそれでおしまい」
 ナイはにっこり微笑んだ。

 結局ゴードンは高圧的な調子で注意されるでもなく、バイク通学に関する具体的ななにかを申し渡されるでもなく、ただ一枚の紙切れを渡されただけで敵陣を後にした。あまりのあっけなさにゴードンは、心配したぼくらが迎えに行ったとき、ぽかんとした様子で廊下に突っ立っていたものだ。

 ナイから渡された紙切れ、それは消費社会の拡大と地球環境の悪化についての関係を表したレポートとグラフからなる、とある環境保護団体の作ったビラだった。
 ビラの隅には「きれいな空気を守るため、バイクよりも自転車を」という記事があって、排ガスのせいで喘息を患った子供たちの写真が載っていた。
 ゴードンはすごくいやな顔をしてそのビラを丸めて捨てた。
「電動バイクができるまでの辛抱だ」
 ゴードンはそう言って、翌日から自転車で通学するようになった。

 そのあともぼくらは度々、生徒会といざこざを起こした。もちろん教師連中ともいざこざを起こしたが、真っ向からぶつかり合ったのはやっぱり生徒会だった。
 戦いに次ぐ戦い、謀略に次ぐ謀略の日々。学校に通うようになっても、ぼくらのその生活は変わらなかった。ただその舞台がストリートから五階建ての鉄筋コンクリートの中に移っただけのことだ。

 争いは激しかったが、そんな中でもナイはひとり常に穏やかで落ち着いていた。敵ながら、彼女の才覚には仲間の誰もが一目置いていた。正直なところ、その時にはもう、ぼくらは彼女のことが好きになりかけてたんじゃないかと思う。ビン底メガネにパサパサおさげの彼女のことをだよ!

 ある日のこと、調理実習に向かう階段の踊り場でナイと出くわした。お互い一瞬の緊張が走ったり走らなかったり。ぼくは黙ってやり過ごそうとしたけど、彼女のほうからぼくに話しかけてきた。よく通る耳ざわりのいい声で。
「ねえ、前から思ってたんだけど」
「うん?」
「あなたがチームの中で一番わからないわね」
「わからないって?」
「なんていうのかなぁ、チームにおける役割というか立ち位置? そういうのが、あなたの場合、すごくあいまいじゃない?」
 ぼくはてっきりバカにされてるんだと思ったから、むっとしてこう言った。
「どうだっていいだろ、そんなこと」
 本当は気になる話だった。なにしろそれはぼくだって常日頃から感じずにはいられなかった疑問だったのだから。
「どうでもよくはないのよ、わたしにとってはね。わたしはあなたたちのことをもっとよく知りたいわ。あなたたち四人が何者で、これからなにをやるのか、なにができるのか、わたしはすごく興味がある。生徒会長としてではなくて、ひとりの人間として」
 ぼくも興味がある、けどぼくは黙っていた。簡単に相手のペースに乗るわけにはいかない。ぐいっと近づいてきた彼女の顔のせいでちょっとドキドキしてたんだろうって? ちぇっ! とにかく彼女は続けたよ。
「でもあなただけがどうしてもわからない。あなたがいなければチームは成立しないってことはわかるけど、それがどういう訳なのかが全然見えてこないわ、不思議。こんなの初めて」
「ちょ、ちょっと待って。今なんて?」
 ぼくは後ずさって彼女から身を離し、訊いた。
「不思議。こんなの初めて」
「いやその前、よりもまだ前。ぼくがいないと、なんだって?」
「あなたがいないとチームが成立しないってこと?」
「そうそれ。なんでそんなことを? いったいどういう根拠でそう思ったの?」
「あなたはそう思っていないの? 自分がいなくても他の三人は変わらないと思う?」
「えーと、それは……、よくわからないな……」
「しっかりしなさい。みんなを学校に引っ張り込んだのはあなたなんでしょ」
「それはそうなんだけど……って、なんで知ってるのさ?」
「それだけのことなら見てればわかるわよ。ねえ、いい? あなた、ちゃんと高校に進学しなさいな。ほかの三人はたぶんそうしないだろうけど、あなただけはそうしたほうがいいわ、絶対に!」
「仲間を捨てろと言うのか?」
「違うちがう、そんなこと言ってるんじゃないの。あなたたちのチームにはそのことが必要だと思うのよ、なんでかよくわからないけど」
「ホントによくわからないよ……」

 お互いちょっと意味不明な会話だったけど、ジェロニモに言わせればそれこそが大地の声と関係があるんだとか。
 自分自身に理屈がつけられる前の、飛躍した思考っていうことかな。ひらめきと分析のあいだのなにか、普通の人はたいていそれを「女の勘」なんて呼んだりするんだけど。

 当然のことながら、彼女は三年生で、次の年の夏に別の街の高校に進学し、中学を去った。
 最大のライバルを失ったぼくらは張り合いがなくなってしまい、学校にあまり行かなくなった。いち早くジェロニモは学校を辞め、日雇いの仕事をするようになり、ゴードンとマーカスは半分学校、半分ストリートというような生活を送るようになった。なんという中途半端、なんというグダグダ。そういえば失恋ってわりとそんな投げやりな気分になるもんじゃなかったっけ?

 ぼくは中学での三年のあいだに、腕を骨折したり、飼ってた猫を亡くしたり、初めてのキスをしたりしたけど、それはまあ個人的な話。
 そっちの話はぼくの部屋の引き出しの日記のほうに全部書いてあるから、この記録にはぼくらの仲間に関係のあることだけ書くつもりだ。

 ぼくらにとっての中学時代というのは要するに、史上空前の作戦がものすごい尻すぼみで頓挫したってこと。それってつまり挫折とか失望とかってわけじゃなくて、ぼくたちが、それぞれきちんと大人になってったってことなんじゃない?

 そしてぼくは、ナイの言いつけどおり高校に進学した。もちろん彼女の行った高校とは全然別の、不良ばっかりいる高校だった。