間違った旅路の果てに正しさを祈る *Reprise

著:ニコリリ


1.仲間との出会い


 貨物船「ホリデイ」の船底で、このまるまる白紙の日記帳を見つけた。
 ぼくは現在密航中。ポケットにはインクがたっぷりの万年筆。暇で退屈な時間ってやつなら今すぐフリーマーケットで売りに出したいほど。
 そんな状況だから、かねてからいつか書かなきゃと思っていた、旅の記録をこれにつけることにする。
 と言っても、そんなもの今まで書いたことがないから、なにから書けばいいのかわからない。
 ぼくらの旅立ちの日から書けばいいのだろうか? それとも博士との別れの日から?

 一旦ペンを置いてゆっくり考えてみた結果、とにかくぼくら四人のことから書き始めないと、なにがなんだかわかんないだろうと思ったので、そのことから書くことにする。

 四人っていうのは、ゴードン、マーカス、ジェロニモ、そしてぼくジミーのこと。
 ジェロニモはもちろんのこと、他の三人だって親の付けた名前でなく自分で付け直した勝手な名前を名乗ってる。どうしてかって言えば、そっちのほうがカッコいいし、リトルギャングだった時にも、エコテロリストだった時にも、とかく戸籍上の名前を名乗るのは不用心だったからだ。

 ぼくらは皆、レムの街のダウンタウンで育った。
 ごみごみとした通りに建ち並ぶ、ひび割れた外壁の雑居ビル。その中に無理やり押し込まれたような小さなアパートメント。それぞれが別の場所で、互いによく似た家に暮らしていた。
 それどころか、ぼくらは四人とも「飲んだくれの父親とあばずれの母親のあいだに生まれた三番目のいらない子供」という見事な符号でもって運命的に結びつけられた、まるで四つ子のような存在だった。

 ぼくと仲間たちとの出会いはこうだ。
 それはまだ小学校にあがる前のことで、幼稚園に行かせてもらってなかったぼくが、日中ひまを持て余していた、とある暑い日の話。
 初めは家の中で、拾い集めたクレヨンのかけらを使って抽象的な絵でもこしらえてやるつもりだったのが、酒臭い親父と乱暴な兄貴たちに邪魔者扱いされ、怒声とげんこつを浴びせかけられたあげく、外に追い出されてしまったのだ。
 ぼくは焼けつくような日差しの元、ぶらぶらと家の前の通りをあてもなく歩き始めた。
 倒れたゴミバケツやボロボロの古新聞を踏み越えながら歩いていると、つぶれた工場の入り口に置きっぱなしになった赤い自販機が見えてきた。
 その頃はまだノーリーズン(炭酸のアレだよ)を飲んだこともなく、その機械の箱がなんなのかすらよく知らずにいたのだが、時々、兄貴たちが釣り銭受けに指を突っ込んでるのを見ていたぼくは、ふと意味もわからないまま、恰好だけそれを真似してみるつもりになった。
 ぼくは兄貴たちがするようにポケットに手を突っ込んで、口笛を吹きながら、自販機に近づくと、さっと釣り銭受けに指を差し入れた。
 すると、どこの誰が間抜けをしたものか、ぼくの指に数枚の硬貨の感触が伝わってくるじゃないか!
 数枚の硬貨の価値についてはぼくもそれをよく知っていたから、状況はわからぬまま、有頂天になってその硬貨を取り出した。
 陽の光にきらめく二枚の銀色。
 ぼくはそれをうっとりと眺め、このお金でいったいなにが手に入れられるだろうかと愉快な想像を浮かべた。アイス、ヨーヨー、チョコ、やっぱアイス――。
 と、ぼくの肩を後ろからとんとんと叩く者がいる。
 振り向くと、ぼくより年かさの子供が立っていて、にやにや笑っていた。その周りには彼と同じくらいの歳の子供たちが五人いて、少しずつぼくを取り囲むようにその位置をずらしているところだった。
「なんですか?」
 ぼくは訊いた。肩を叩いた子が自販機を指差して言う。
「ここの自動販売機は、おれたちの自治区の中にある。お前はおれたちの自治区でゼニを稼いだり儲けたりしちゃいけねえ」
 彼の言うことについて、ちんぷんかんぷんだったぼくは黙ったまま肩をすくめた。当時のぼくのよくないクセだ。
 日頃から家で暴力にさらされていたから、その気配には敏感だった。ぼくを取り囲んだ連中から暴力に訴えるのを辞さない雰囲気が漂いだしたことに、ぼくはすぐに気づいた。
 気づいたからなんだっていうんだ? ぼくはすでに周りを囲まれ、背中には自販機、逃げ道はない。戦う? 自分より年上の集団を相手にたったひとりで? ご冗談でしょう!
 今のぼく、いや、このときから一年くらい後のぼくなら、自分の全能力をかけて囲みを破る方法を見つけ出しただろう。でもこのときはまだ、くちばしの黄色いひよっこで、ただひたすらおびえて震えるばかりだった。
「なーめてんじゃねーぞぅ、こーのガキィ」
 右側に立っていたひとりが目玉をぎょろりとさせながら変な節をつけて言う。
「おーらおーら、なんとか言えよ」
 左側に立っていたひとりがぼくのひざをつま先で小突く。よろけた拍子に手の中の硬貨が落ち、ちゃりんちゃりんと路面に跳ねた。
 そのとき突然、おびえるだけだったぼくの心に、小さいけど確かな火が灯った。ピンチもピンチ、大ピンチにならないと決して出てこない、ぼくのちっぽけな勇気の火。それが最初に現われたのがこのときだった。
 ぼくはキッと相手の顔を見すえ、地面を蹴って、目の前の最初に話しかけてきた子に体当たりを食らわした。
 まさかぼくが反撃すると思ってなかったのだろう、相手はぼくよりずっといい体格をしていたのに、あっけなくよろけて尻餅をついた。
「こんの野郎!」
 周りの連中がいっせいにぼくに飛びかかってきて、地面にねじ伏せた。
 ぼくは半狂乱になって言葉じゃないなにかを大声で叫びながら、じたばたと手足を動かした。
 そのすぐあとで連中に叩きのめされてしまったからよく覚えていないけど、ゴードンが聞かせてくれたところによると、ぼくのこの無茶苦茶な攻撃で、相手は鼻血を出したり、前歯を折ったりと散々だったらしい。
 知らずのうちに、やられた分の何割かは連中にお返しできていたということだ。
 崩れたブロック塀の切れ端に腰かけ、ゴードンにおごってもらった人生初のノーリーズン(切れた唇にしみたことしみたこと!)をすすりながら、ぼくはほんの少しだけ満足感を味わうことができた。

 そう、つまりストリートのリトルギャングたちに手痛い洗礼を受けていたぼくを救ってくれたのが、たまたま近くで見ていたゴードンだったのだ。

「どうやったの?」
 ぼくは訊いた。
「なにが?」
 ゴードンはぶっきらぼうな口調で訊き返してきた。付き合い初めのうちはなにか怒ってるのかなと思ったが、彼は誰に対してもどんなときでもこんな感じだったので、やがてすぐに気にならなくなった。でも初対面のこのときはまだ少しおっかない奴だと思ってた。
 だいたいゴードンは当時から、陽に焼けた浅黒い顔に、茶色の髪を短く刈り込んだ頭をしていて、子供のくせに戦争ドラマに出てくる鬼軍曹そっくりだった。
「ひとりで、たくさんの相手を、どうやって追っ払ったのかなって」
「ああ、芝居をしたんだ。警官がすぐそこまで来ているって芝居」
 彼はなぜか照れくさそうに頭を掻いた。
 ゴードンはぼくよりふたつかみっつ上で、そのときすでに小学校に通う年齢だった。とはいえ学校にはほとんど行かず、本人いわく「街の権力構造について見識を深めるため」にリトルギャングチームについてじっくり研究していた。
 彼の目的はどこのチームにも負けない、自分だけのチームを持つこと。そのためにゴードンはまず、いろいろなチームの中から骨のあるメンバーを見つけては引き抜きを試みた。しかし駆け出しのなにひとつ実績のない少年についてくる者はない。
 そこでゴードンはまだチームに入っていない者の中から見どころのある奴だけ集めて精鋭集団を作ることにしたのだ。
 ぼくはこのとき見せたあのちっぽけな勇気の火のおかげで、彼の眼鏡に適ったというわけだった。

 このあと全身の怪我のせいで高熱を出し三日寝込んで、四日目の昼過ぎ、ベッドから起きられるようになると、ぼくはゴードンに教えてもらっていた秘密のアジトに向かった。
 そこでぼくはもうふたりの仲間、マーカスとジェロニモに出会うことになる。

 アジトは北の墓場に向かう途中の林の中にあって、打ち捨てられた古い木こり小屋をちょっとだけ改修したものだった。
 こんな立派なものがよくもまあこれまで他のチームに取られずにいたものだとぼくは感心したが、そこはそれ、ちゃんとゴードンが手の込んだ細工でもって、小屋をまだ大人が使っているように見せかけていたのだ。
 小屋の前で出迎えてくれたゴードンにくっついて、ぼくは入り口の扉をくぐった。
 小屋の中は、柱だけ残してほとんどの壁を取っ払い、ひと続きの大部屋にしてあった。中央に大きな楕円形の木のテーブルがあって、その向こうにひとりの小柄な男の子が座っていた。彼の目の前にはたくさんのお菓子がはいったバスケットが載せられていた。
 と、その男の子がテーブルの向こうから、機敏な動きでこちらに駆け寄ってきて、ぼくに向かって片手を差し出した。
 くりくりとした目が印象的な丸顔のその少年が、マーカスだった。
 マーカスはひとつ年上だったが、背はぼくより少し低く、ものすごいやせっぽちだった。
 ぼくはマーカスの手を握って、よろしくと言った。
 マーカスはにやっと笑うと、
「ついにおれにも後輩ができたぞ! びっしびししごいてやるかんな!」
 と、嬉しそうに言った。ぼくが来るまで彼がこのチームの一番の下っ端で、ぼくが入ったことで一段階身分が繰り上がったというわけだ。
 しかし、この頃から今の今まで、ぼくはこの仲間たちのなかで上下関係を感じたことは一度もない。先輩後輩も年齢も身長も一切関係なく、ぼくらはまるきり対等の立場で付き合っていたと思う。
 理由はいちいち覚えていないが、一度ならずゴードンとマーカスが最年少のぼくに頭を下げることもあったし、ぼくも三人を先輩とも年長者とも思わず、よく口ごたえしたものだった。
 とにかくそんな関係のぼくらだったから、最初のこのマーカスの言葉は今にして思えばちょっとしたジョークのつもりだったんだろうと思う。
 マーカスは、深刻そうな顔をしたゴードンとジェロニモのふたりとは対照的に、冗談好きでいつもにこにこしている陽気な感じの少年だった。もちろんそれは大きくなってからも変わらず(というかむしろ成長してからのほうがよりいっそう陽気になった気がする)、いつだってぼくら仲間のムードメーカー的な役割を担っていたものだ。
 さて、もうひとりの仲間ジェロニモだが、このときはまだアジトには来ていなくて、夕方頃になってひょっこりと顔を出した。
 ゴードンがちょっと小言めいたことを口にしたが、ジェロニモはどこ吹く風、飄々とした様子でただひとこと「大地の声を聞いていた」とだけ言うと、マーカスのとは少し違った静かな微笑みを浮かべた。
 手製らしき素朴な感じのアクセサリーをいくつもつけ、長い黒髪を後ろで束ねた背の高い男(とても少年というような雰囲気ではなかったのだ!)で、本当の年齢よりもずっと年上に見えた。
 ちなみにジェロニモというのが自分で勝手に名乗ってる名前だというのは最初に書いたとおりで、当然、彼の一族はネイティブ・アメリカンでもなんでもない、普通の移民の血筋だった。
 ただ、彼の一番上の姉がネイティブ・アメリカンの男のところに嫁いで行ったせいで、その世界との関わりを持ち、どっぷりはまり込んだ結果が今の彼なのだった。
 ぼくらは互いに手を握り合い、こうしてぼくは完全に彼らの仲間になった。

 アジトの中には石つぶてをとばすパチンコや、手作りのブーメラン、最新型の野球盤、モノポリー、ダーツ、木でできたサンダル、鎧みたいなプロテクター、ゴーグルの付いた飛行帽、その他いろいろの面白いものがごちゃごちゃと詰め込まれていた。
 そんなアジトを見渡し三人の顔を見ていると、とびきり愉快な気持ちになってきた。面白い友達ができたぞ、とぼくは思った。

 その日は親がカンカンになるぎりぎりの時間までアジトにいて、皆でゲームをしたりチョコレートを食べたりして親睦を深めた。
 そして翌日から、リトルギャングチームの一員としての、目まぐるしくて面白おかしい、退屈知らずの毎日が始まったのだった。